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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

パキスタンからのお便り(ファイサラバードにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター岡野 真弓

海外宣教者を支援する会の皆様
いかがお過ごしでしょうか。
 以前、結核プロジェクトのためと訪問者治療のためにいただいたご援助は、今も大切に使わせていただいています。病院を訪問するすべての結核患者さんに抗結核薬を渡すことができ、また、訪問は週1回のペースで行っています。先週も60名以上が診療を希望しました。彼らには当座の必要な薬をお渡しし、また、妊婦の貧血、血糖、尿検査も簡易法でその場で行えます。すべていただいた基金によって支えられています。
 今回はセント・ラファエル病院のニュース5月分を以下のとおり送ります。

St.Raphaek's Hospital News No.5(2005年5月号)
 2月に、聖ラフアエル病院付属助産婦学校から14名が卒業して行きました(卒業式は年2回あります)。18名で始まったクラスでしたが、途中で、止めてしまう学生が毎回います。貧しい農家や日雇い労働者の家庭から助産婦学校に入学できただけで、家の出世頭のように扱われ、将来の地位と収入への家族の期待は大きいのですが、しかし学生として学ぶ毎日には辛いことがたくさんあります。
 まず、全寮制です。大部屋に住み、違う地域から来た生徒たちと共同生活をしなければなりません。帰省は半年毎で、家族との面会は月1回と決められています。単独での外出は出来ません。緊急の用事で家族の誰かが迎えに来た場合は、外出が許可されます。大変厳しいようですが、これも、全く違った地域から来ている大人数の学生の共同生活をスムーズにするためであり、個々の生徒の安全を守るためです。
 加えて、授業は英語と土地の言葉と両方で行われますが、教科書は英語で書かれています。国家試験も英語で行われます。教科書が理解できず、穴が開くほど眺め、全文を暗記していても、暗記している中身をよく理解できていない子もいます。
 ですので、中には家族の期待と過程を成就するための困難との緊張に耐えられなくなり、過程途中で退学を申し出る生徒が出ます。今までは、大家族の中で兄弟柿妹に囲まれて育ってきたのですから、ホームシックにかかり易いのも仕方がないと思えます。
 今回、卒業したグループは入学試験の時から知っています。成績がいつも良かったサダフ(仮名)は勉強では何の苦労もしなかったのですが、授業や病院での実習では心ここにあらずでした。訊ねてみれば、看護には興味がないとのことです。家族を呼んで、その旨を告げて、進路変更を勧めると、彼女を無理やり説得して何とか学校に置いてくれ、と逆に懇願されます。実習でも失敗が続き、国家試験が終わった段階で(普通は、試験合格後、半年、当院で研修して実地訓練を積むのですが、)家族に引き取ってもらいました。もちろん、試験には受かったのですが、就職する気はないとのことです。小さいころから、父親不在の貧しい家庭に育ち、親戚の援助で教育を受け、それゆえ親戚の勧めに逆らえない、心は満たされていない、そんな子でした。今も彼女が仕事にも就かず、家にいると聞くと心が痛みます。
 サイマ(仮名)は、入学試験の面接の時から印象的でした。学業上の知識もあり、その上しっかり我々を見つめて、「父は病気で、無職であること。母が日雇い労働をして家計を支えていること」を語り、また看護婦になることへの強い意志をも見せました。この子には受かって欲しいと面接後の選抜の時にも願っていましたが、私が押す必要もなく、試験官みなの賛成で入学が決まりました。
 しかし彼女は病気がちで、2年の在学中、何度も当院に入院しました。特にひどかったのは、喘息発作でした。それは家族が、彼女の卒業を待たずに結婚させようと望んだことから始まりました。結婚すれば学業は続けられません。結婚は親戚間でアレンジされることが多いのですが、貧しい彼女の家族にしたら、今、彼女を望む親戚からのアプローチに応えたかったのだろうと、想像できます。何度も発作を起して、彼女は抵抗しました。ある日、入院している彼女を訪ねてきた母親は、一晩付き添い、「嫌ならいい。私が何とかする。」と言ったとのことです。こうして彼女は、学業を続け、卒業を迎えました。もともとの利発さからか、または看護婦になるという固い意志によるのか、病気にも関わらず、彼女の国家試験の結果は、パンジャープ州(パキスタンは4州に分かれている)で最高の成績でした。彼女は今、正看産婦になるための学校に進む予定です。日本とは違い、助産婦だけという資格がパキスタンにはあり、当学校は助産婦資格だけ取得できます。
 生まれ育つ環境を含めて、私たちの生きる環境は選ぶことが出来ないこともあります。しかし、サイマのひたむきな生き方や彼女の母の深い決断を見るとき、環境に屈せず、自分の意志で将来を選んで生きることが出来るのだ、と教えられます。
2005年05月




チャドからのお便り(ベレにて)

クリスト・ロワ宣教修道女会 シスター大畑 八重子
 今日は!
 新緑の美しい頃かと存じます。こちらチャド国も雨季に入り、砂埃も少なく、大地の所々にうっすら緑の絨毯が敷かれたように、小さな草花が芽を出してきました。小鳥のさえずりも聞かれ、主の慈しみを深く感じている今日この頃です。
 ご無沙汰いたしておりますが、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。いつも私たち宣教者のためにお心遣いをありがとうございます。お陰様で私も元気に過ごしておりますので、ご安心下さいませ。
 ところで、スタッフの方のどなた様か、「竹箒の作り方」をご存じありませんでしょうか。もし知っておられる方がおられましたら、お手数でも作り方を書いたお手紙を頂けませんでしょうか。
 と申しますのも、こちらの修院の庭にかなりの孟宗竹が伸びほうだい、枯れほうだいになっているため、この竹を利用して箒が作れないものかと思い、試してみましたが、自己流のためうまく行きませんでした。竹を束ねるのにコツがあるのではないかと思われましたので、お教え頂けましたらと思い、筆を執りました。
 ご存じの方がいらっしゃいませんようでしたら、捨て置き下さいませ。
 スタッフの皆様によろしくお伝え下さいませ。
2005年05月20日




アルゼンチンからのお便り(ミシオネスにて)

神言会司祭 北島 泰治神父
主の平安
 ご無沙汰いたしております。
 先頃より何回も雑誌を送って下さり、ミシオネス在住の日本人一同心より感謝しております。
 遠く離れた地にいても聖霊の働きにより信仰を一つにした兄弟姉妹の愛を感じることが出来ます。
 聖霊降臨を前にして私たちの移住地コロニアル・ルハンの教会では、守護の聖人であるルハンの聖マリアの祝日を祝いました。まずまずの人が集まって、行列とミサの後、共に食事をして、午後はサッカーをして一日を楽しく過ごすことが出来ました。
 ここに写真ができましたので、一緒に送ります。
 皆様の上にいつも神の祝福がありますように。
 皆共に祈らせていただきます。
守護の聖人ルハンの聖マリアを祝う行進
守護の聖人ルハンの聖マリアを祝う行進

守護の聖人の祝日を祝うミサ
守護の聖人の祝日を祝うミサ

ミサに与る日系人の人たち
ミサに与る日系人の人たち

共に分かち合うミサ後の食事(テーブル右から4人目が北島神父)
共に分かち合うミサ後の食事(テーブル右から4人目が北島神父)
2005年05月30日