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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

ソロモン諸島からのお便り

サレジオ会日本管区ホニアラ支部 司祭 飯田 徹
主の平和と善
初めて便りを「宣教者を支援する会」に差し上げます。私と共にソロモンでの宣教に従ことする田中行広修道士宛てに「きずな」が送られて来ていたので、貴会の存在は知って居りましたが、何をお願いして良いのか皆目見当が着かない状態なので、便りすることを差し控えてきました。しかしソロモンを紹介することを通して何が必要かが判るかもしれないと思い直し、以下の文を認めてみました。もし良ければ「きずな」に掲載していただき、先輩宣教者の方々のお知恵を拝借したいと思います。不躾ですが、この便以降も新たに気が付いたこと、あるいは思い出したことなどを送り、順次ソロモンを締介し、ソロモン宣教にご理解いただくと同時に、皆様方の助言を仰ぎたいと思います。

ソロモン諸島国にも目を向けてください その1

ソロモン諸島国(Solomon Islands)と言っても日本に住む方々には余りなじみがなく、ご存知ない方も多いでしょう。あるいは最近新聞に載った佐藤行雄氏の記事をお読みになった方がいるかもしれません。ソロモンは、地理的には東経155−170度、南緯5−13度の海域に東西に散らばる小さな島々からなる国です。と言ってもまだピンと来ないでしょう。オーストラリア東端の北側の海域、あるいはパプアニューギニアの東の海域に連なる島々です。ソロモンの首都はホニアラで、ガダルカナル島にあります。ガダルカナル島と言えば知っている方も多く、特に年配の方々は激戦の地としてご存知でしょう。
そのソロモンは世界でも指折りの「最貧国」です、と言うと多くの日本の方々は、その日の糧にも困る痩せ衰えた人々、貧困ゆえに親から見離された子供たち、それゆえ非行に走る子供たち、貧困故の生活の堕落などを想像されるかもしれません。しかし、ガダルカナル島に関してはそのようなことはほとんど見られず、ソロモン全体に関しても同様と思われます(各島々に関して調査したわけではないので)。また、少女たち特有の非行もゼロではないでしょうが、社会問題となるほどではなく、社会全体が貧しく、金銭を通した需要が生じ得ないのと、英国の植民地時代を通してキリスト教(主にアングリカンチャーチ)が布教され、国民の95%位までが表面上はキリスト教徒となっているせいかも知れません。
多くの宣教地に於ける貧困は富の偏在に原因がある場合が多く、少数の大地主や支配階級による搾取という構図が見られます。しかし、ソロモンではそれもゼロではないが、問題となるほどではない。確かに支配階級の不正、公金横顔着服といったことはあるようですが、それも他の宣教地とは比較にはならず、ソロモン国民間の貧富の差も他の宣教地に比べてそれほど激しいものではありません。 言い換えるとソロモンという国全体が等しく貧しく、その意味において貧富の差がそれほど大きくなりようがないのが現実です。ソロモンの首都ホニアラの市街地や、アウキ、ギゾといった街々(都市と言える程の規模ではない)は電化されていますが、それ以外のほとんどの地域は電気もなく、ランプ、蝋燭、あるいはかがり火の生活を強いられています。
沿岸地帯の部落はともかく、山岳地帯の部落では子供たちを除いて流石に腰蓑半裸の人々はいませんが、未だに原始的な生活を送っています。しかし、ソロモンは熱帯雨林地帯に位置するため、雨と太陽には恵まれ、植物の生育には良い環境で、朝夕の涼しい時間帯に畑作をするだけで、食べることだけには困りません。従って飢え、痩せ衰えた人々はほとんどいません。しかし、その食卓はクマラ、ヤム、タロ、キヤサバ、パナなどの芋類が主食で、それに少々の野菜が付くだけの、日本の感覚から言ったら極めて貧しいものです。
ソロモンの人々はこのようにただ食べるだけなら困らず、熱帯にあるため衣と住に関して防寒を考える必要がなく、簡単な衣と住で済んでしまったため、生活改善の努力を怠ってしまったようです。そのため、生活改善を目指そうと気が付いた時には、そのノウハウの蓄積が全くなく、原始的生活の継続を余儀なくされているようです。
サレジオ会日本管区では1996年以来、首都ホニアラの東30kmにあるテテレ小教区の司牧を担当し、小教区司牧の他、巡回司牧と生活向上のヒントを与えることを重点に、活動をしています。
また、2000年からはホニアラの郊外、ヘンダーソンで青少年のための職業訓練センターを展開しています。
ソロモンは交通網あるいは交通機関が非常に未発達のため、日曜日毎に教会に集まることは、老人や小さい子供たち、幼い子を持つ母親たちには困難です。そのために巡回司牧を行っています。テテレ小教区域は東西約20km、南北約50kmあり、北部の平野部は悪路と言えども道があり、4WD車で何とか部落を訪問できますが、南部の山岳地帯の部落には徒歩となるため、巡回は難儀を極めています。

ソロモン諸島国にも目を向けてください その2

ソロモンの人々は、部族毎に小島やジャングルの中に孤立的に暮らしてきた歴史から、人口約60万前後に70以上の言語があります。公用語は英語と言うことになっていますが、実際にはピジンイングリッシュが公用語になっています。テテレ小教区域のうち平野部は、消費地である首都ホニアラと悪路といえども車で行き来することができ、農産物その他の出荷を通して、経済活動ができるようになっています。
しかし、山岳地帯の部落ではそういったことが困難なため、ほとんど自給自足的原始生活を余儀なくされています。それでも険しい山道を車の通る所まで出荷可能な物を運び出し、細々とした経済活動が行われ、灯油、衣料、調味料などの生活必需品を購入しています。
「その1」で芋類が主食であると書きましたが、ソロモンの人々の食生活に触れてみたいと思います。ソロモンは極少数の例外を除いて、土器文化あるいは食器文化が起こらなかった、世界でも非常に珍しい地域です。ということは鍋釜を使った、煮る、蒸す、妙めるなどの調理法はとられず、焼くあるいは蒸し焼きという調理法のみがあります。
もちろん、現在では海外からもたらされた調理器・食器を使った調理法もありますが、市街地から遠のくに従って昔さながらの調理法が主流となります。焼くという調理法については説明の必要はありませんので、蒸し焼きについて説明します。まず焚き火で拳大より大きめの石を多数焼く、その間にバナナの葉にココナッツミルク(ココナッツの殻の内側の白い脂肪層を搾ったもの)を塗り、洗った食材(芋類、野菜、ある種のバナナ、魚など)を包み、焼いた石を取り出した火床にバナナの葉を敷きます。そこに食材を包んだものを並べ、その上をバナナの葉で被い、その上に焼け石を乗せて被い、蒸し焼きにします。
この調理法による料理はココナッツの香りと風味が付き、初めて食べる時は美味しく感じますが、慣れるに従い味も素っ気もなくなります。ソロモンの人々は伝統的に塩を使わなかったようで、それが現在も受け継がれており、外国人の我々には味も素っ気もないものになります。流石に現在では調理したものに塩を振りかけたり、あるいはココナッツミルクに塩味を付けたりした、味付けが始まっています。
塩味で思い出したのですが、昨年(2001)の聖霊降臨の祭日に現地人助祭 Herman Tique師の叙階式がテテレ教会で行われ、祝賀会で豚の丸焼きが出されました。私もご馳走になりましたが、何の味付けもしてなく、豚肉の旨味は分かりますが、美味しくは感じません。もちろん、塩を中心とした調味料は使われ始めていますが、薄味であり、我々には健康的というか物足りません。蛇足になりますが、砂糖はまだ調味料としては使われず、甘味飲料の素に過ぎません。私が鍋釜、薬缶といった調理器を余り持たない部落を訪問した時、木をくりぬいた器に水を満たし、その中に前述の焼き石を入れてお湯を沸かし、砂糖湯をご馳走してくれました。しかし、灰や石の汚れで濁った砂糖湯では口にしたくはありませんが、人々の折角の好意(ソロモンでは砂糖は輸入品であり決して安くない、噂好品として砂糖黍は栽培されていますが)を無にすることは出来ず、複雑な顔をして戴く羽目になりました。このように街(消費地)に出荷するという経済活動手段を多く持たない貧しい部落では、原始的生活を強いられているにも拘わらず、司祭が来てくれたということを喜んで、虎の子の砂糖を振舞ってくれたのです。
僻地部落巡回の主目的は聴罪とミサですが、英会話(ピジン会話)もろくすっぽ出来ない私は、現地語で告白されても正確な内容など分からず、苦労します。ミサの説教も同じように言葉の問題で大変です。それでも素朴な、しかし強い信仰を持った人々は喜んでくれて、司祭冥利に尽きます。直接の要理教育は、教区で研修を受けた現地人カテキスタ、あるいは現地人シスターが行っており、司祭はカテキスタやシスター方の相談相手といったところです。
2002年5月6日